ぢゃんブログ
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「ちゃんと暮らす」をやめて気持ちが軽くなった理由

はじめに:「ちゃんと暮らす」って、なんでしょう?

「ちゃんと暮らす」という言葉は響きがきれいで、どこか正しい感じがします。
早起きして、バランスの良い朝ごはんを食べて、部屋を整えて、洗濯物をきちんとたたんで、心にゆとりを持って過ごす——。そんな理想的な日常を思い浮かべる人も多いでしょう。

でも、実際の生活はどうでしょうか。
仕事に追われる日、思うように家事が進まない日、人付き合いで疲れてなにもしたくない夜——そんな日々も確かにあります。

「ちゃんと」を続けようと頑張れば頑張るほど、心の中に小さな罪悪感や焦りが積もっていく。
私が「ちゃんと暮らす」を手放してから、ようやく気づいたのは、ちゃんとしようとすることが、心を不自由にしていたということでした。

接写の白いタンポポ

「ちゃんと暮らす」に縛られていた頃

昔の私は、「理想の暮らし」にすっかり縛られていました。
SNSで見る丁寧な暮らしに憧れ、朝のルーティンを整え、掃除リストを作り、週末は常備菜をまとめて作る。
カレンダーには家事スケジュールをびっしり書いていて、予定通りにできないとモヤモヤする。できた日は満足感に包まれるけれど、続かない自分を責めることも多かった。

思い返せば、あの頃の私はいつも「理想の私」を追いかけていました。
けれど、その「理想の私」が本当に自分らしい姿かどうか——そこを考えたことはありませんでした。


無理して整える暮らしは、どこか息苦しい

朝起きてカーテンを開けた瞬間、「今日もがんばらなきゃ」と思っていた頃。
「がんばらなくてもいいのに」と言われても、どうやって力を抜くのか分からなかった。

ちゃんとすることが習慣のようになっていたからです。
「あるべき姿」や「正しい暮らし」を守ることが、安心感につながると信じていました。
けれど実際は、整いすぎた暮らしが、自分の気持ちを置き去りにしていたのです。

・疲れているのに台所を片づけてからじゃないと眠れない
・ゆっくりしたいのに部屋が散らかっていると落ち着かない
・SNSに投稿できるほど“整った日常”を見せたくなる

——この「ちゃんとしなきゃ」は、暮らしを整えるようでいて、心は常にがんじがらめでした。


手放す勇気を持てたきっかけ

「ちゃんと暮らす」を手放す最初のきっかけは、ある休日でした。
いつものように部屋を整えて、掃除機をかけ、洗濯を終えたころ、ふと気づいたのです。

「今日一日、私、自分の好きなことしてないな」と。

それまでは“気持ちの良い暮らし”を目指していたつもりでしたが、実際は**「気持ちが窮屈な暮らし」**になっていたのです。

それから少しずつ、完璧にやることをやめてみました。
洗濯を1日サボってもいい。
夕飯がコンビニでもいい。
掃除は気になったときにすればいい。

最初は罪悪感がありました。「これでいいのかな」「だらしないんじゃないかな」と。
でも、数日経つと気づきました。サボっても家はちゃんと回ってるし、誰も困っていない。
むしろ、気持ちは前より穏やかで、笑顔が増えていたんです。


「ちゃんと」より「心地よく」を選ぶようになって

そこから、暮らしの目的が変わりました。
「整えるための暮らし」ではなく、「心地よく生きるための暮らし」へ。

部屋をきれいにすることも、食事を整えることも、「私が心地よくいられるからやる」。
逆に、「やらなきゃ」という気持ちが先に立つ日は、思い切ってやめてみる。
すると、驚くほど感情の波が落ち着いてきました。

「ちゃんと」を手放すことは、だらしなくなることではありません。
それは、自分の軸を取り戻す行為です。
誰に見せるためでもなく、「私がこう暮らしたいから」という理由で動けるようになると、暮らしにやさしさが戻ってきます。


「怠ける」と「ゆるめる」は違う

最初のうちは、「ちゃんと」を手放す=怠けることのように感じていました。
でも、本当は違います。

怠けるというのは、「本当にしたいこと」まで放棄すること。
ゆるめるというのは、「無理してまでやらなくていいこと」を見抜くこと。

私の場合、その境界線を見つけるには少し時間がかかりました。
でも、暮らしの“余白”を意識するようになると、小さな選択が変わっていきました。

  • 朝の家事を少し減らして、ゆっくりコーヒーを飲む時間をつくる
  • 完璧な掃除よりも、清潔で心地よい程度を目指す
  • 予定を埋めるより、「空白の時間」をあえて予定にする

こうした小さな「手放し」が、暮らし全体のリズムを整えてくれました。


「ちゃんと」しなくても、信頼は壊れない

昔の私は、「ちゃんとしていないと人から信頼されない」と思っていました。
職場でも家庭でも、きちんとしている自分でいようとすることが、ある意味の“防衛”だった。

でも、「ちゃんと暮らす」をやめても、思っていたほど世界は変わらなかったんです。
仕事仲間も家族も、私を責めることはなく、「最近なんだか穏やかだね」と言ってくれた。

それでようやく気づきました。
周りの人が見ているのは“完璧さ”ではなく、“安心感”なんだと。
ちゃんとすることより、自分らしくいることのほうが、信頼や心地よい関係を育ててくれる。


「できない日」があっていい

「ちゃんと暮らす」をやめて一番救われたのは、できない自分を責めなくなったことです。

疲れて料理ができない日も、掃除を後回しにする日も、罪悪感ではなく「今日は体を休めよう」と思えるようになった。
その分、エネルギーが回復すれば自然と動きたくなる。
暮らしは、常に一定である必要はないのです。

気分や体調に合わせて波があるのが自然。
ちゃんと暮らし続けるより、「波を受け入れながら暮らす」方がずっと健やかでした。


小さな「ゆるめルール」を作る

「ちゃんとしたくなる自分」と折り合いをつけるために、私は“ゆるめルール”をいくつか作りました。
ただサボるよりも、「どこまでやれば安心できるか」を見える化しておくと心が軽くなります。

  • 洗濯は2日に1回でOK
  • 朝の片付けは5分だけ
  • 夜はどんなに疲れていても、キッチンのシンクに物を放置しない
  • SNSは「誰かに見せるため」ではなく、「自分の記録」のために使う

この“最低限ライン”を決めておくと、「やらなくてもいい」ことと「やると気持ちがいいこと」の線引きが自然にできるようになりました。


「ちゃんと」をやめて見えてきたこと

「ちゃんと暮らす」をやめたことで、時間と心の使い方が変わりました。
一番の変化は、自分の気持ちを優先できるようになったことです。

以前は「やらなきゃ」で一日が終わっていましたが、今は「これができたら気持ちいいな」を基準に動いています。
やるべきことより、やりたいことを軸に置く。
すると暮らしそのものが自分にフィットしていくのです。

気持ちの整理も早くなり、人との比較も減りました。
「ちゃんと」よりも、「心地よい」を積み重ねた先に、自分らしい暮らしが形づくられていく——。
それが今の私にとっての“ちゃんと”です。


おわりに:「ちゃんとしない勇気」

「ちゃんと暮らす」をやめることは、簡単なようでいて、実は勇気がいります。
今まで守ってきた“丁寧さ”を手放すことは、どこか不安だからです。

でも、「ちゃんと」していなくても、暮らしは崩れません。
むしろ、自分との関係が優しくなる分、まわりとの関係も柔らかくなります。

“ちゃんと”しない勇気を持つことこそ、
本当の意味で「ちゃんと自分を生きる」ことなのかもしれません。


Q&A

Q1. 「ちゃんと暮らす」をやめると、だらしなくならない?
A. だらしなくなるのではなく、「自分に合ったペースを選べるようになる」と考えてください。完璧を求めないぶん、継続しやすく、結果的に生活が整います。

Q2. 家族に「ちゃんとしてほしい」と言われるときは?
A. 相手の言葉の裏にある「安心したい」「頼りたい」という気持ちを受け止めながら、「私はこういうやり方が心地いい」と伝えるのがポイントです。正解はひとつではありません。

Q3. 手を抜くことに罪悪感があります。どうすれば?
A. 「やらない=悪いこと」と思い込む癖を見直すのがおすすめ。まずは“やらない日”を小さく作ってみて、実際に問題が起きない経験を重ねると、心が安心していきます。

Q4. 「ゆるめる暮らし」で一番大事にしていることは?
A. 「今の自分に合っているか」を常に問いかけること。昨日うまくいった方法が、今日の自分に合うとは限りません。柔軟に変えていく感覚を大切にしています。